先日子供の通う園での懇談会でのお話。
グループ懇談会に参加した。
一人一人、保護者がこの一年を通して子供にとって良かったことや嬉しかった事を伝える懇談会。
和やかムードの中で始まった懇談会だったけど、最初に話す保護者の方が一言目から泣き始めた。
最初は(緊張からかな・・?)
と思っていたけど、泣いていた理由は、
「子供が話せるようになったことが嬉しかった。すごく不安だったので・・」
と言いました。
(そっか・・)
すると、それに応える先生も泣きながら答え始めた。
それが伝染したのか、その方も同じ思いだったのかはわからないけれど、次に話す保護者の方も同じ理由で泣きながら話始めた。
「子供が話せるようになったことが嬉しいです・・」と。
この時の自分。何故かすごく冷めているというか、客観的に見ている自分がいた。
みんなもらい泣きし始めている状況で何故自分は泣けないのだろう・・
自分自身では結構子供の事には感情移入しやすく涙もろい方なのに・・
理由は明白。
私は我が子の言葉の発達に不安を感じているからだ。
3歳を過ぎて最近は少しずつ3語文が出始めてはいるが、周りに比べるとまだまだで、その不安を払拭出来るまでにはなっていなかったからだ。
しかも泣いている先生にも相談していたし、泣いた保護者の方にもその不安を伝えたことがある。
私の中で「会話が出来るようになった」とはまだ言い難い現状。
全く感情移入もできず、次々と泣きながら話す保護者を見てどんどん自分の感情が追いつかなくなっていた。
特に、初めに泣いた保護者の子供は暴れん坊で感情の起伏が激しく、我が子もよく怪我をさせられた子の保護者。
謝罪を受けたことは一度もない・・
と言う思いも重なってしまったかもしれない。
遂に自分が話す番になった。
今まで(こう話そう・・)と思っていたことも、余計な感情が頭をぐるぐるしていたせいで真っ白に・・
なんとかごまかしながら「色んなお友達と関わることが出来て良かった」
と伝えたけど・・
帰宅してからもずっとこの自分の覚めた感情と向き合っていた。
(もしかしたらうちの子発達障害とかあるのかもしれないな・・)
とは今までに何度も思った事がある。
周りに発達障害の子が多く目にする機会は多い。
また身内がそういった子供に関する仕事をしているので相談したこともある。
でも、
「言葉を理解できてるから大丈夫と思うよ」
と言って貰った言葉に安心しきっていたけど、今まで一旦閉まっていた感情が蘇ってきた。
もうすぐ市の検診もある。
今の時代、昔なら「個性的な人」と思われていた人がちゃんと診断が降りて病名がある時代。
びっくりするほど周りや子供の学校にも多いけど、みんな一見普通の子供に見える。
我が子も普通に見えて実はあるのかもしれないと思うと、とても複雑な気持ちになる。
今は検診までに出来ることをするしかないと思っている。
と同時にあの時泣けなかった自分を冷酷な人間とは思いたくなくて、
「話せるようになったことが一番嬉しい」
と言っていた保護者に共感できなかった自分に
納得させる言い訳が欲しかったのかもしれない。
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